キロ28 201 → キロ28 2201 → キハ28 5219



1966年10月31日帝国車両製の7-2次車で、昭和41年度本予算で長野運転所に新製配置された。同一ロット199〜202のうち、199〜201が長野へ配置された。当車は新製時より冷房車である。長野では中央西線の急行「きそ」「ちくま」を中心に使用されたが、中部地区の急行受け持ち区の変更による転属が相次ぎ、1972年3月で美濃太田へ転属し、同年7月12日付で金沢へ転属し、1973年7月27日付で再び美濃太田へ戻っている。以美濃太田では長く活躍し、主に急行「のりくら」の他急行「大社」「紀州」等、名古屋を起点とする急行で活躍した。後に運用効率を上げるため発電ユニットを4VKに換装することになり、1979年3月9日付で「キロ28 2201」へ改造された。以降引き続き美濃太田で活躍したが、「60-3改正」では急行「紀州」の廃止及び「のりくら」の削減が行われ当車は余剰となり、1985年5月22日付で普通車に格下げられ「キハ28 5219」へ改番され高松へ配置された。高松では四国全域の急行指定席車として使用され、国鉄末期の急行削減後も生き残りそのままJR四国へ継承された。JR化後は1988年3月26日付でリフレッシュ工事を受け、1989年1月26日付で「四国色」へ塗り替えられた。しかし間もなく1989年7月22日のダイヤ改正で急行「いよ」「土佐」の大幅削減が行われた際に余剰となり、1989年12月31日付で廃車となった。

側面は、客室窓がユニット式に改造されて大きく姿を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められているが、当車の吸気口は通常の車輛より位置が低く腰板部に設けられている珍車である。便所側面に汚物処理装置の点検蓋が設けられている。当車は側窓がユニット式に改造された後も下降窓で残った乗務員室窓下部に、バランサー点検蓋が追設されている。
屋根上は、ほぼ原形のままである。
床下では、冷房発電セットは3両給電の4VKへ換装されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。後位側に汚物処理装置が設置されている。


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