キロ28 305 → キロ28 2305



1968年6月29日新潟鐵工製の第8-3次車で、昭和42年度第3次債務で小郡機関区へ配置された。同一ロット304〜306のうち、304・305が小郡へ配置された。当車はモデルチェンジ車に該当し、新製時より冷房を搭載していた。小郡では急行「さんべ」の1往復で活躍したが、広島のキロと車両交換が行われ、1969年度中に広島のキロ28 63・176が小郡へ転出し、小郡のキロ28 304・305が広島へ転出している。広島では急行「青島」「ちどり」で活躍した。山陽新幹線博多開業の「50-3改正」では急行「青島」は廃止され所要数が減少したが、車齢の若い当車は急行「ちどり」用として引き続き広島で使用された。1978年3月14日には運用効率化のため発電セットが4VKへ換装され、2305へ改番された。1983年には汚物処理装置に関する車両交換が行われ、豊岡から元向日町配置の汚物処理装置装備車であるキロ28 2159、2171が1983年2月16日付で広島へ転入し、広島から2月17日付でキロ28 2304・2305が豊岡へ転出した。豊岡では急行「丹波」「丹後」で活躍した。国鉄最後の「61-11改正」では福知山線電化に伴い急行「丹波」が廃止され急行「丹後」専用となり、そのままJR西日本へ継承された。JR化後も豊岡配置で急行「丹後」で使用された。1993年3月には豊岡の急行運用が福知山へ統合され、当車も福知山へ転属した。そして最後は1996年3月改正で山陰本線電化により急行は全廃され、1997年9月10日付で廃車となった。

側面は、客室窓が1枚下降窓から2段のユニットサッシへ変更され、大きく形態を変えている。発電セットが4VKへ換装された際に、これの吸気口が1-3位側へ設けられ、2-4位側にあった4DQ-11P用の吸気口は埋められている。当ロットは新製時より便所窓が横長になっている。元広島地区配置車の特徴として側面ほぼ中央部窓下にサボ差しが追設されている。
屋根上は原形のままであるが、一部のクーラーが、メッシュタイプのルーバーのものになっている。
床下はほぼ原形のままである。


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