キロ28 2310 → キハ28 5217



1969年4月23日新潟鐵工製の第8-5次車で、昭和43年度第4次債務で宮原機関区へ配置された。同一ロット2309〜2311全車が宮原へ配置された。300番台の8-5次車である2309〜2314の6両全車が宮原へ配置されている。当車は新製時より冷房化されまた4VK発電セットを装備している。宮原では従来配置されていた100番台車に代わり、急行「ちくま」「ゆのくに」「越後」等で使用された。同区の担当路線は中央本線・北陸本線に及び比較的関連地に属するが、なぜか暖地向けが投入されている。1971年上期には急行「ちくま」「ゆのくに」「越後」の運用が長野へ移管され、以降は主に急行「たかやま」「みまさか」で活躍するようになる。この状態は長く続いたが、国鉄末期の「60-3改正」で急行「みまさか」の縮小等により運用が減少し、車齢の若い当車は1985年3月13日付で普通車に格下げられ「キハ28 5217」へ改番され高松へ配置された。高松では四国全域の急行指定席車として使用され、国鉄末期の急行削減後も生き残りそのままJR四国へ継承された。JR化後は1987年12月16日付でリフレッシュ工事を受け、1988年12月19日付で「四国色」へ塗り替えられた。1989年7月22日のダイヤ改正で急行「いよ」「土佐」の大幅削減が行われた際に残った急行「うわじま」の運用が松山へ移管され、当車も同日付で松山へ転属した。以降残った急行「うわじま」で活躍したが、1990年11月21日のダイヤ改正で急行「よしの川」を除き全廃され、1990年12月31日付で廃車となった。

側面は客室窓が1枚下降窓から2段のユニットサッシへ変更され、大きく形態を変えている。また乗務員室の下降窓に点検蓋が設けられている。
屋根上はほぼ原形のままであり、12系客車やキハ65に準じた車体断面が特徴である。
床下は、原形のままであるが、後位側に汚物処理装置が取り付けられてる。


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