キロ28 2508 → キロハ28 101



1969年4月12日新潟鐵工製の第8-5次車で、昭和43年度第4次債務で浜田機関区へ配置された。同一ロット2508〜2512のうち、2508・2509が浜田へ配置された。浜田では急行「だいせん」をはじめ、山陰本線の急行で活躍した。当車は新製時より冷房化されまた4VK発電セットを装備している。伯備線電化に伴う「57-7改正」では山陰地区の急行見直しが行われ、1982年7月2日付で鳥取へ転出した。鳥取では急行「砂丘」「白兎」で活躍したが、「61-11改正」で「白兎」は廃止され、当車は岡山担当の急行「砂丘」のグリーン車置き換えに使用されることになり、1986年11月2日付で岡山へ転出した。そしてそのままJR西日本へ継承された。岡山では急行「砂丘」で活躍したが、急行「砂丘」の基本編成が3両となることから当車のグリーン席は過剰となり、一部普通車へ改造されることになり、1987年12月9日付で「キロハ28 101」へ改造された。改造後の1988年3月改正では急行「砂丘」の運用は鳥取へ集約されることになり、1988年3月13日付で再び鳥取へ転属している。鳥取では引き続き急行「砂丘」専属車として活躍した。1992年度より同急行のグレードアップが行われることになり、当車は普通車部分もリクライニングシート化され、塗装も急行「砂丘」専用色となったが、改番はされなかった。その後1997年11月29日の改正では智頭急行線経由の特急「はくと」の新設により急行「砂丘」は廃止され、当車は急行「つやま」には転用されず、1998年9月10日付で廃車となった。

側面は、キロハへ改造された際に車体中央付近の窓が狭められ、この部分は固定窓となっている。それ以外はほぼ原形である。
屋根上はほぼ原形のままであり、12系客車やキハ65に準じた車体断面が特徴である。
床下もほぼ原形のままである。


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