キロ58 1



1963年5月6日帝国車両製の5-1次車で、昭和37年度第2次債務で松本機関区に新製配置された。同一ロット1〜4全車が松本へ配置された。当車は長大編成対応の非冷房車として落成した。当時松本には急行「アルプス」用のキハ58 0番台とキロ28 0番台が大量に配置されていたが、急勾配が長く続く中央東線では1エンジン車のキロ28が足を引っ張ること、編成が長大化すると従来の車両では不具合が多くなったことから新番台車が投入されることとなった。そして1963年に長大編成対応のキハ58 400番台が40両とキロ58 8両が新製投入され、従来の車両は全車が他区へ転属するという大幅な車両転配が行われた。キロ58このような経緯から中央東線の急行「アルプス」専属で使用された。しかし1965年には中央東線の全線電化が完成し気動車を使用する急行「アルプス」は2往復のみとなり、キロ58 7・8は長野へ転じ急行「きそ」で使用されたが当車はそのまま松本に残り急行「アルプス」で使用された。1965年からはグリーン車の冷房化が本格的に始まりましたが2エンジンで冷房電源エンジンの搭載できないキロ58は遅くまで冷房化が見送られたが、1968年3月〜4月にキロ58への給電を考慮した4VK搭載のキハ28 1500番台(後の2500番台)が投入されるとやっとキロ58も同年夏までに冷房化された。キロ58を冷房化するためにキハ28 1500とペアを組まざるを得ないということは結局はキロ28を使用するのと変わらなくなってしまい、この頃からキロ58の存在価値は薄れ異端車扱いされることとなった。その後1969年には急行「アルプス」普通車の冷房化用にキハ65も投入されキハ28混成による出力低下は幾分緩和された。長く急行「アルプス」用として活躍した当車であるが1975年3月のダイヤ改正で気動車を使用する急行「アルプス」は廃止され、同改正で名古屋区へ移管された急行「きそ」のグリーン車として1〜5の5両揃って名古屋へ転属した。名古屋では前述の通り急行「きそ」を中心に活躍しましたが当時既に中央西線も全線電化されており、1978年10月のダイヤ改正で同急行が全て電車化されると余剰となり、異端車で用途も無い事から1979年5月10日付で廃車となった。

側面は原形である。キロ58はキハ58に準じて機関冷却水給水口が2個あり、また台枠近くに給油口も設けられている。キロ58はキハ58系長大編成対応最初期のグループで、乗降ドア下部の丸窓位置が若干低く裾の赤帯の中に納まっている。
屋根上は元非冷房車のため屋根が高く、また冷房化に際しクーラー脇に押込通風器が設けられている。キロ28 108までに類似であるがキハ58同様屋根上に水タンクがあるためキロ28と容易に区別できる。
床下機器はキハ58と同一の配置となっている。冷房電源ユニットを持たないため、冷房化に伴う床下の変更は無い。


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