キハ28 25 → キハ28 2025
1961年12月14日新潟鐵工製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で田端機関区に新製配置された。同一ロット22〜25のうち、23〜25が田端へ配置された。田端では上野から盛岡へ向かう急行「三陸」で使用された。しかし1963年10月のダイヤ改正で田端への急行型気動車配置は廃止となり盛岡へ運用移管され、10月1日付で転属した。盛岡では急行「三陸」「陸中」「たざわ」等、東北本線北部の急行で使用されたが、長大編成対応の300番台が投入されると玉突きで転出することになり、まず千葉の夏季海水浴輸送で使用するため1964年7月15日付で千葉へ転出し、夏季輸送終了後の9月29日付で福知山へ転属した。福知山では急行「丹波」「丹後」等で活躍した。1971年には需給の関係で九州へ転属することとなり、キハ28 12と共に1971年5月13日付で竹下へ転属した。竹下転属後すぐの1971年9月30日付で冷房化及び4VK発電ユニット搭載改造が行われ、2025へ改番された。そして九州各地の急行列車で活躍した。山陽新幹線博多開業に伴う「50-3改正」では九州内の急行も大幅な見直しが行われ、当車は同改正で熊本へ転属した。熊本では急行「えびの」で活躍をしたが、「59-2改正」で急行「えびの」の減車が行われると非力なキハ28は真っ先に減車対象となり、1984年2月1日付で比較的平坦な人吉へ転属した。人吉では急行「くまがわ」の他、肥薩線・湯前線の普通列車でも使用されたが、「60-3改正」では急行「くまがわ」も減車が行われ、当車は1985年5月22日付で廃車となった。
前面は、前面補強は施工されていない。ワイパーは原形のWP35のままであり、正面窓下の手すりも原形のままである。制御用ジャンパ受栓は、タイフォン下部で左右離れた位置に移設されている。放送用ジャンパは、後期車に準じたステップ一体型に改造されている。テールライトは原形の内ばめ式のままである。タイフォンカバーはスリット状カバーのままである。
側面はほぼ原形であるが、3位側側面に、4VK発電セット用の吸気口が設置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点は無い。
床下機器は、ほぼ4VK搭載車の標準形態である。4次車までの初期車に搭載されている発電動機箱は、1位側乗務員室床下へ設置されている。後位側に4VK発電セットが取り付けられている。
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