キハ28 30 → キハ28 2030
1962年1月23日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で小郡機関区に新製配置された。同一ロット30〜34のうち、30〜33が小郡へ配置された。小郡では山陽本線の準急「周防」及び九州へ向かう準急「あきよし」で運用を開始した。1965年には山陽本線の電化により準急「周防」の1往復が電車化され余剰となり、1965年10月13日付で福知山へ転出した。福知山では主に急行「丹後」「丹波」等で活躍した。1972年度には福知山区の急行型の約半分を豊岡へ分散することになり、当車も豊岡へ転属した。豊岡では引き続き急行「丹波」「丹後」及び「だいせん」の増結車をメインに活躍した。その後「59-2改正」では運用の都合で福知山区へ転属するも、1985年12月には米子に転じた。米子では最後まで残っていた急行「だいせん」で活躍したが、国鉄最後の「61-11改正」で急行「だいせん」が廃止されると余剰となり、JRに継承されること無く1987年2月6日付で廃車となった。
前面は、前面補強されてない。ワイパーはWP50に更新され、それに伴い運転席窓下の手すりが短くなっている。テールライトは両側とも内ばめ式のままである。タイフォンカバーはシャッター式に改造されている。制御用ジャンパ受栓はタイフォン下部で左右離れた位置へ移設されている。放送用ジャンパ栓は関西地区に近い形態でタイフォンと尾灯の間付近に移設されている。
側面はあまり手が加えられていない。3位側側面に4VK冷房発電セットの吸気口が開けられている。
屋根上は標準的な冷房車の形態で特筆すべき点はない。
床下は、後位側に4VK冷房発電セットが搭載されている。水タンクは原形の鋼製タンクのままである。4次車までが装備していた発電動機箱は、1位側助手席床下に設置されている。
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