キハ28 32 → キハ28 2032
1962年1月23日帝国車両製の2次車で、昭和36年度本予算(残)で小郡機関区に新製配置された。同一ロット30〜34のうち、30〜33が小郡へ配置された。小郡では山陽本線の準急「周防」及び九州へ向かう準急「あきよし」で運用を開始した。小郡では長く活躍し、山陽本線の電化後は主に山陰西部〜九州の急行「あきよし」で活躍した。当車は小郡では遅くまで非冷房車のままであったが、キハ58系冷房化末期の1978年2月7日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2032へ改番された。「50-3改正」より「あきよし」の山口線編成が急行「つわの」に分離されたが、これが「55-10改正」で廃止されたことから小郡では余剰車が発生し、当車は新潟地区の急行冷房化のため1980年10月23日付で新潟へ転出した。新潟では急行「いいで」「べにばな」「あさひ」「羽越」等で活躍した。東北新幹線開業の「57-11改正」では急行が削減され、引き続き残った急行「べにばな」や「あがの」で活躍したが、「60-3改正」ではこれら急行の削減・短編成化が行われ余剰となってしまう。しかし当車は当時流行っていた簡易カーペット車に改造されることになり、1985年5月16日付で改造されたが、簡易の名のとおり通常期には一般車に復元できる構造とし、改番もされなかった。しかし結局はカーペット車専用となり、1986年には専用塗装へ変更された。そしてそのままJR東日本へ継承された。JR化後は引き続き新潟配置で団体輸送に使用された。1992年3月には機関がカミンズ製DMF14HZに換装され、併せて塗装も変更された。1991年11月には組織改正で所属が新津へ変更となったが引き続き新潟をベースに団大輸送で活躍した。しかし元々車齢の高い余剰車を簡易カーペット車に改造した車両であり、車両更新も行われなかったことから老朽化が進み、2002年6月12日付で廃車となった。
前面は、JR化後に郡山工場で前面補強が施工され、台座付きの手すりやアンチクライマーが特徴である。正面窓上の水切りは残存しているが、通風口は両側とも撤去されている。デフロスタは、新潟地区標準で両側に付いている。ワイパーは、WP50に改造されている。テールライトは前面補強時に外ばめ式へ変更されている。標識灯掛けは前面補強時に7-2次車以降と同様に台座無しへ変更されている。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。放送用ジャンパ受栓は、前面補強時に後期車のようなステップ一体式へ変更されている。前面補強時にアンチクライマーが設置されている。
側面は、簡易カーペット改造車であることから、ほとんど原形から改造されていない。機関換装時に冷却水の給水口が埋められていいる。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、雨どいが、新潟地区特有の鉄板で滑らかに処理されたタイプとなっている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済みであるが機関予熱器は残存している。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンク・水タンクは原形のままである。
1988年頃
↑JR化後間もない1988年頃の姿。この時点では雨といは原形であった。
1991年頃
↑1990年頃の時点では雨といが張り上げタイプに更新されていた。
1994年頃
↑1992年3月に機関がカミンズ製に換装され、側面の給水口も埋められている。床下の水タンクは交換が早かった新潟地区にしては珍しく原形のままである。またタイフォンは竹槍状のものから円筒形のカバーを被せた形態に変わっている。この時点では側面の「Carpet」のロゴが省略されている。
キハ58イラストのページへ戻る
キハ58系のページへ戻る
ホームへ戻る