キハ28 364 → キハ28 2364



1964年11月25日新潟鉄工製の6-3次車で、昭和39年度第2次民有で大分機関区に新製配置された。同一ロット363・364両車とも大分へ配置された。同時期に前後ロット含め362〜365が大分へ配置されている。大分では豊肥本線・久大本線といった横断線の急行や別府を基点とする観光急行で使用開始した。そしてキハ58系では比較的早期の1969年4月16日付で冷房化及び4VK電源装置取り付けを行い2364へ改番された。その後も国鉄末期まで大分で主に急行「由布」「火の山」で活躍した。しかし「55-10改正」では日豊本線全線電化に伴う気動車急行の縮小と全般的な減車の流れで余剰となり、1980年11月27日付で新潟へ転属した。新潟では急行「いいで」「あさひ」「あがの」「羽越」「うおの」等の冷房化に使用された。なおこの転属により玉突きで新潟の非冷房キハ58系が大分へ転属し、同区のキハ55系を置き換えるという玉突きが発生している。そして国鉄末期の急行整理後も残った「べにばな」「あがの」で引き続き活躍し、そのままJR東日本へ継承された。JR化後も引き続き「べにばな」「あがの」等、磐越西線・米坂線で活躍した。そして1991年1月には機関がカミンズ製DMF14HZへ換装されている。1991年にはキハ110系投入によるJR東日本管内広域での車両転配により、当車は飯山線の冷房化に回ることになり1991年12月14日付で長野へ転出した。長野転出後は飯山色へ変更され、飯山線の普通列車で活躍した。しかし1997年3月より飯山線へキハ110系が先行投入された際に捻出され、状態の良い当車は他区の検査期限切れ・状態不良車と交代することになり1997年8月27日付で小牛田へ転出している。小牛田では飯山色のまま陸羽東線・石巻線のほか快速「南三陸」で活躍し異彩を放った。しかしピンチヒッター的存在であり他区からキハ40系が転入すると真っ先に運用から外され、2000年3月12日付で廃車となった。

前面は、新潟地区標準の前面補強がされている。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。ステップの位置や制御用KE53ジャンパ受栓の位置等は、九州標準の形態である。放送用ジャンパ受栓は、原形のステップ一体型のままである。正面窓上の通風口・水切りは原形のままである。タイフォンカバーは、新潟時代の竹槍状の筒が外され、長野地区特有の形状のスリット状のカバーとなっている。テールライトは外ばめ式に改造されている。デフロスタは新潟地区標準で、左右両側に付いている。
側面は、機関換装時に給水口が埋められている。3位側側面に4VK発電セットの吸気口が設置されている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態であるが、飯山色の塗分けが屋根上まで及んでおり特徴的である。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ更新されている。油タンクは原形のままである。水タンクは新型のFRP製のものに交換されている。当車は新潟・長野時代は単線型スノープロウを設置していたが小牛田転出後は複線用スノープロウへ交換されている。


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