キハ58 178




四国最後の普通列車用キハ58系として活躍したうちの1両。

1962年7月17日新潟鐵工製の3次車で、昭和36年度第3次債務で宮原機関区へ配置された。同一ロットの179は米子に配置されたため単独行動であった。宮原では新設された急行「越前」で使用開始し、その後急行「ちくま」「丹波」等に運用を拡大していった。1964年に長大編成対応の400番台が宮原に新製されるに伴い、当車は早くも1964年9月30日付で高松機関区へ移動、四国で使用されることになった。以降四国を離れることはなかった。高松では比較的早期の1969年度には冷房化された。余談だが兄弟の179は1980年には178の古巣の宮原へ移動し、1984年には高松へ移動してきたため、新製後22年目にして初めて同一区で兄弟顔を合わすこととなった。178は国鉄末期の「61-11改正」時に、キハ185系投入による急行の特急格上げで余剰となるが、徳島の経年の古いキハ58を置き換えるため1986年10月30日付で徳島気動車区へ移動。急行「阿波」「むろと」及び高徳本線・牟岐線の普通列車等で使用された。1989年2月17日には四国色に変更された。キハ185系の増備により急行「阿波」の格上げが進み、普通列車用に格下げされることとなり、1990年8月1日付で近郊化改造された。徳島では1000系の増備が進み1993年3月20日付で高知へ異動。残存していた原型のキハ58と交代し普通列車で使用された。この高知が最後の活躍場所となり、2008年の1500形増備による車両転配により余剰となり、2009年3月31日付で廃車となった。

外観は、鋼体自体は原型をよく保っているが、四国特有の改造により、原型からは随分雰囲気が変わっている。
前面は、四国タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されているが運転席窓下の手すりは手を加えられていない、四国標準の形態。制御用KE53ジャンパ受栓の位置等も、四国標準の形態。放送用ジャンパ受栓は、当初四国若番車標準の、助手席側タイフォン右上に、足掛けと一体化した線受を使用していたが、1990年代後半の改造でテールライト横に移設されているが、旧の受栓台座はそのまま残っている。タイフォンカバーは、原形のスリット状のままである。正面窓上の通風口と雨どいが撤去されており、晩年の四国地区の標準スタイルである。
屋根上は通風器がすべて撤去されているのは2000年以降の四国共通の標準仕様である。近郊化改造時に便所が撤去されているので、併せて屋根上の水タンクも撤去され、キハ28のような状態になっている。
側面は便洗面所が撤去された際に、臭気抜き窓が撤去されている。便洗面所窓ガラスも透明のものに交換されている。汚物処理タンクが設置されていた名残で、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。運転席側窓バランサー点検蓋は、四国標準の、台枠に近い部分に横長の開口部が設けられている。乗降扉の点検蓋は、後期車と同じ横長のものに改造されており、四国の標準形態であった。
床下では、。機関は原型のDMH17Hエンジンを装備しているが、2位側の機関予熱器は撤去されている。また循環式汚物処理タンクを装備していたが、便所撤去の際に当然撤去されている。
妻面は、四国近郊型特有の、仕切り扉付き。その関係でデッキにあった下降窓は埋められている。これは、デッキ撤去に伴い、車内外を仕切る扉が無くなったための代替措置であった。


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