キハ58 266
JR東日本の急行用アコモ改造車。当車は山形→新庄配置で急行・快速「月山」運用で使用された。
1963年2月12日富士重工製の4次車で、昭和37年度民有で新潟機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは265〜267が同日に新潟へ配置されている。新潟では急行「赤倉」等で運用されたが、1963年下旬には長大編成用400番台が投入され、当車は267とともに1963年度中に竹下気動車区へ転出した。竹下時代の1970年代に冷房化改造されたものと思われるが詳細は不明。竹下では主に長崎本線系統の急行に使用されたが、「55-10ダイヤ改正」で日豊本線全線電化と共に急行列車の整理が行われ当車は余剰となり、兄弟の267とともに新潟地区の急行冷房化のために1980年10月5日付で新潟運転所へ転出した。新潟へは17年ぶりの里帰りであった。新潟では、主に急行「いいで→あがの」「あさひ→べにばな」「羽越」「うおの」等で使用され、キハ58形主体で運用される急行「赤倉」に使用されることはまれであった。上越新幹線開業後も上記支線急行で急行の冷房化に貢献した。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、当車はこの際に余剰となるが、幸運にも山形地区の更なる冷房化のため、1985年3月14日付で山形機関区へ転出した。山形地区でも国鉄最後の「61-11改正」で急行の縮小・削減が行われ大量の余剰が出たが、当車は幸運にも残留組となり、JRに継承された。JR化後も引き続き急行「月山」に使用された。1991年3月16日付で、山形運転区が山形新幹線開業準備の関係で廃止されるのに伴い、当車は新庄運転区へ転出したが運用実態は同じであった。1991年よりアコモ改造されることとなり当車が抜擢され、1992年2月25日付でアコモ改造・機関換装・車両更新等を受け、塗装も専用色となり生まれ変わって出場した。以降急行から快速へ格下げされつつも引き続き同列車の最後まで使用された。1999年3月に山形新幹線新庄延伸工事のため一部区間運休となることになり、この際に快速「月山」は廃止された。廃止に伴い当車は用途を失ったが、その後も小牛田区への貸し出しや波動用として新庄に在籍し、1999年12月4日の新庄運転区廃止に伴い小牛田運転区へ転出し、塗装も東北地域本社色に変更され快速「南三陸」で使用されたが、翌2000年4月3日には廃車となった。
外観は、月山・よねしろ向け更新・アコモ改造仕様で、廃車直前は東北地域本社色に変更されていた。前述のとおり冷房化年月日は不明である。
前面は、前面補強されているが、新津施工か小倉施工かは、両工場の施工方法が似通っているため不明であるが、テールライトが内ばめ式のままであるため、おそらく小倉工場であると思われる。運転台側のタイフォン横のステップが残存しており、小倉工場の標準的なスタイルからは外れている。ワイパーはWP50に更新されており、それに伴い運転室窓下手すりが若干下がっているのは、新津・小倉双方共通の特徴。テールライトは前述の通り内ばめ式のままであった。放送用ジャンパ栓納めは秋田地区標準の位置に付いている。新潟時代に運転席・助手席側両方にデフロスタが設置されたが、更新時に運転席側は熱線入りガラスに交換され、助手席側は撤去されたため、付いていない。タイフォンカバーは暖地型標準のスリットタイプを装備しているが、新潟時代に新潟タイプに改造されていたかは不明である。また、正面貫通ドアは更新時に交換されており、Hゴムの無い窓になっている。
側面では、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、後期車のような横長のものに更新されている。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は、新潟地区特有の若干小ぶりな当て板がボルト止めされている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。アコモ改造時に、行先方向幕が2・3位側の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
屋根上は標準的な冷房車の形態であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されているが、その後再度設置されている。接触器箱は0番代ながら長大編成対応400番代のものに交換されているのが特徴である。油タンクは角型のものへ交換済み。スノープロウは単線用を取り付けている。便所側は汚物処理タンクを装備しているが、取付時期が新しい(恐らく更新時)のでキハ48等にも見られる角ばったものが取り付けられている。
1990年頃
↑同車の国鉄時代の姿は発見されていない。JR化後の1990年頃の姿。基本的な形態は更新後とあまり変わっていない。
1997年頃
↑更新後の姿。更新直後の姿は見つかっておらず、1997年頃の姿である。塗装以外は最末期と殆ど変わらない。
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