キハ58 308



JR東日本の急行用アコモ改造車。当車は山形→新庄配置で急行・快速「月山」運用で使用された。

1963年2月11日日本車両製の4次車で、昭和37年度利用債で長野機関区へ配置された仲間の1両。同一ロットでは308〜312の一挙5両が同日に長野へ配置されている。長野では中央西線の急行「きそ」等を中心に使用された。1966年の6月6日より一時新潟へ転出するが9月27日には長野へ戻っている。1969年には、中央東線松本運転所へキハ65が投入された関係で松本の長大編成対応キハ58が5両長野へ転入し、玉突きで同ロットの308〜312が美濃太田及び名古屋へ転出した。当車は唯一美濃太田配置となった。美濃太田では急行「のりくら」をはじめ高山本線系統の急行で使用されたが、1971年度末には車両交換で再び長野へ転出した。1973年の中央西線全線電化で当車は余剰となり、1973年7月12日付で米子機関区へ転出し、山陰本線・伯備線系統の急行で使用されるようになった。1976年には伯備線系統の急行「伯耆」の運用持ち替えで岡山へ転出し、急行「伯耆」のほか、「砂丘」「みささ」でも使用されるようになった。1970年代中後半に冷房化されたものと思われるが、どの配置区所時代に改造されたかは不明である。「60-3」改正で急行「みささ」が縮小されることになり当車は余剰となり、小海線キハ57の置き換えのため1985年3月27日付で中込機関区へ転出した。中込ではキハ28が配置されていないため、冷房を使用することは出来なくなった。中込配置のままJR化を迎える。小海線ではキハ110系への置き換えまで使用され、1991年上期にキハ110系が投入されると、急行「月山」の指定席車として機関更新・車体更新・アコモ改造等徹底的な体質改善工事が施工され、1991年7月3日付で新庄運転区へ転出した。急行「月山」は同じアコモ改造車のキハ28形と組んで使用されていたが、快速格下げとともに指定席車のみがアコモ車という編成に改められ、相棒が原型のキハ28形に代わった。更に、1999年3月改正で山形新幹線の新庄延伸に伴う工事のため快速「月山」は廃止され、当車は1999年3月15日付で快速「南三陸」用に小牛田運輸区へ転出した。前後して塗装も東北地域本社色に塗り替えられた。しかし小牛田では短命で1年後の2000年5月1日付で廃車となった。

外観は、月山・よねしろ向け更新・アコモ改造仕様で、廃車直前は東北地域本社色に変更されていた。前述のとおり冷房化年月日は不明である。
前面は、岡山時代に関西タイプの前面補強が施工されている。ワイパーは旧型のWP35で、そのため正面窓下の手すりは手を加えられていなかった。これは岡山車によく見られた形態であった。一方テールライトは岡山時代に外ばめ式に改造されている。放送用ジャンパ線受は関西地区標準の位置に付いている。デフロスタは、助手席側のみ設置されたている。タイフォンカバーは暖地型標準のスリットタイプを装備している。また、正面貫通ドアは更新時に交換されており、Hゴムの無い窓になっている。中込時代には方向幕横に無線アンテナ挿しが付いていたが、更新時に撤去された。
側面では、全てのドアが交換されており、客用ドアは窓が金属押さえでかつ下部隅に丸窓もなく、タブレット保護柵用の凹みもない更新車用のものになっている。乗務員室ドアも、ドアノブが凹みの中に入った、モデルチェンジ車類似品になっており、またドア下部に掴み手が追加されている。ドアの靴摺り部は、他の更新車同様ステンレスに交換されている。戸袋部の客用ドア点検蓋は、他の更新車と同様、キハ40系のようなユニット式のものに更新されている。車体中央付近にあった機関冷却水口は、他の機関更新車同様埋められている。バランサー点検蓋は、岡山時代施工で点検蓋がボルト止めされている。また、汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。アコモ改造時に、行先方向幕が2・3位側の窓上に追設され、当グループ唯一の特徴である。方向幕設置後も、側面のサボ差しは引き続き残置されている。
屋根上は冷房車の標準形態で特に目立った点はない。
床下では、エンジンがコマツ製DMF11HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されているが、のちに前位側は復活している。油タンクは角型のものへ交換済み。スノープロウは複線用を取り付けている。便所側は汚物処理タンクを装備しているが、取付時期が新しい(恐らく更新時)のでキハ48等にも見られる角ばったものが取り付けられている。


1989年頃

↑1989年頃の姿。急行「月山」用として抜擢されるまでは中込配置で小海線用であった。前面パーツの基本的な配置は晩年とあまり変わらない。小海線用なので、側面にサボ受けが取り付けられていた。また小海線では冷房を使用しないため冷房電源用KE8ジャンパケーブルが手撤去されている。



1992年頃

↑更新直後の1992年頃の姿。この時点では前位側の機関予熱器も撤去された状態となっている。


1997年頃

↑1997年頃の時点では前位側の機関予熱器が復活している。



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