キハ58 524



1964年4月21日新潟鉄工製の6-2次車で、昭和38年度第3次債務で新潟機関区へ配属された。同一ロット524〜526のうち、当車のみ新潟へ配置された。新潟では急行「赤倉」の他、「越後」等幹線急行で使用されたが、早くも1964年度中に需給の関係で名古屋へ転出した。名古屋では急行「きそ」「のりくら」「紀州」「大社」等広範囲で活躍したが当車は非冷房のまま過ごし、中央本線急行が削減された関係で1976年7月8日付で七尾へ転出した。七尾ではキハ55系を置き換え急行「能登路」で活躍したが、「53-10改正」で七尾に大量の冷房キハ58が転入し、当車は玉突きで1978年10月7日付で新潟へ里帰りした。新潟では再び急行「赤倉」の他、「羽越」「べにばな」等で活躍した。「57-11改正」での急行「赤倉」廃止後も引き続き「べにばな」「あがの」等の支線急行で使用されていたが、「59-2改正」での減車減便で余剰となり、1984年3月24日付けで富山へ転出した。富山ではキハ55系に代わり大糸線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は1989年10月6日付で大糸線色へ変更され引き続き活躍した。1990年以降JR東日本区間へ乗り入れる運用が減少し、1993年3月にはキハ52単行列車へ置き換えられ、1993年3月31日付で廃車となった。

前面は、前面補強の形跡が見受けられない。ワイパーは強化型のWP50に更新され、それに伴い手すりが若干下がっているのは、新潟地区の標準スタイルである。正面窓上の通風口は左右とも現存しているが、水切りは撤去されたJR西日本金沢支社スタイルである。タイフォンカバーは新製時よりのシャッター式のままである。テールライトは新潟時代に外ばめ式に改造されている。デフロスタは、運転席側のみに設置されている。放送用ジャンパ受栓はステップ一体型である。制御用ジャンパ受栓は、冷房車のごとく左右離れた位置へ移設されている。
側面では、乗降ドア隅の丸穴が残存している。乗務員室窓バランサー点検蓋は、新潟地区特有の蓋が取り付けられている。
屋根上は、水タンクが新潟地区特有の平べったいものに交換されている。
床下では、単線用スノープロウを付けている以外はほぼ原形である。


キハ58イラストのページへ戻る

キハ58系のページへ戻る

ホームへ戻る