キハ58 680 → キハ58 5001




1965年12月10日富士重工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で美濃太田機関区へ配置された。同一ロットの675〜680のうち、678〜680が美濃太田へ配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1970年中盤には冷房化されている。国鉄末期には急行「のりくら」は徐々に格上げ・廃止され、「61-11改正」では急行運用は名古屋へ集約されることから1986年10月29日付で名古屋へ転出し、そのままJR東海へ継承された。名古屋では引き続き急行「のりくら」で使用されたが、キハ85系投入による特急格上げ後は引き続き武豊線の普通列車で使用されたが、1991年の快速「みえ」増発・高速化の際に種車に抜擢され、1991年1月31日付でアコモ改造・駆動系改造・塗装変更されキハ58 5001へと改造された。この改造は全キハ58系の中でも最も駆動系を弄った改造であった。快速「みえ」の高速化対応車として華々しくデビューしたが早くも1993年にはキハ75系が投入されキハ58系は増発・増結運用や波動用などの裏方に回ってしまう。そして1999年のキハ75の追加増備によるキハ58系全廃計画により「みえ」は完全キハ75系化され、引き続き当車は波動用として活躍したが、2001年9月14日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、名古屋工場タイプの前面補強がされている。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター式のままである。テールライトは、外ばめ式に更新されているが、内ばめ時代の取り付け座が残るタイプで、名古屋地区の標準形態である。制御用ジャンパ受栓の位置も、名古屋地区標準の位置である。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に設置されている。
側面では、床下機器改造に伴い、機関冷却水の給水口が埋められていることと、油タンクの位置変更に伴い給油口の位置が変更されていること、後位側に点検口のようなものが設置されていること、洗面所更新により通風窓が無くなっているのが特徴である。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。名古屋地区にしては珍しく後位側水タンク脇のデッキ通風器が残存している。
床下機器は数あるキハ58系で最も手を加えられている。機関はキハ85系と同じC-DMF14HZへと換装され、エアクリーナーを含む関連機器が取り替えられた。機器配置はキハ85系に準じたものに変更され、接触器箱や充電池箱、油タンク等の配置が変更されたが、部品自体は極力元の発生品を使用している。油タンクの位置変更に伴い、台枠付近にあった給油口の位置も変更されている。台車はキハ80系発生品の空気バネのDT31系へ交換されており、さながらキハ57のようである。数あるキハ58系機関換装車では唯一変速機も交換され、最高速度も110km/hとなっていたが、制御回路はそのままで一般車と混結することも可能である。また改造時に床下機器が台車を含め全て灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。


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