キハ58 681
1965年12月24日富士重工製の第6-5次車で、昭和40年度第1次民有で美濃太田機関区へ配置された。同一ロットの681〜683全車が美濃太田へ配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1972年には循環急行「しろがね」「こがね」が系統分離により廃止となり、当車は1972年7月11日付けで長野へ転出した。長野では急行「きそ」をはじめ「ちくま」等で活躍したが、1973年の特急「しなの」増発時に余剰となり、小浜線急行の体質改善のため、1973年7月4日で敦賀へ転出した。敦賀には非冷房のキハ58系が集まっていたが、1980年には完全冷房化することになり、兄弟の679・682が冷房化される中、当車は1980年10月14日付で非冷房のまま飯山線用に長野へ転出した。長野では飯山線ローカル輸送に徹し、そのままJR東日本に継承された。JR化後間もなく飯山色へ変更され、1990年9月にはカミンズ製DMF14HZ機関へ換装され、非冷房ながら引き続き飯山線で活躍した。しかしながら1997年10月1日の飯山線キハ110系化の際に余剰となり、当車は活用されないまま1998年2月5日付で廃車となった。
上のイラストは1997年頃のものである。
外観は飯山色ながら金沢局時代の形態を色濃く残している。
前面は、金沢時代に前面補強が施工されているが、補強板端部の仕上げが滑らかで目立たない。ワイパーは強化型のWP50へ改造され、それに伴い運転席窓下の手すりが撤去されており、金沢標準の形態である。タイフォンはシャッター式のままとなっている。テールライトは、運転席側のみ外ばめ式に改造されており、金沢地区特有の形態である。放送用ジャンパ受栓は、長野時代にテールライト下部へ移設されている。運転席側のステップがタイフォン上部へ移設されている。当車は平窓車ながら、貫通ドア窓がモデルチェンジ車同様の大窓になっており、極めて珍しい。
側面は、車体中央付近にあった機関冷却水口が他の機関更新車同様埋められている以外は、ほぼ原型である。
屋根上は、水タンクが敦賀時代に平らな形状のものに交換されている。また、非冷房車ながら後位側のデッキ通風器が撤去されている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZに交換されており、機関予熱器も撤去されている。長野地区では豪雪にも関わらずスノープロウを付けていない。
↑こちらは1988年頃の姿。機関は原形のDMH17Hで、側面の機関冷却水給水口が残っている。また塗装は古い飯山色で、フランス語の「VOITURE
AMITIE'」のロゴが付いている。またこの頃はジャンパ栓受のオレンジと緑の色分けはされていない。Hゴムは灰色である。
↑こちらは1986年頃と思われる国鉄時代末期の姿。飯山線色に塗りかられる前であるが、この時点で正面貫通ドアの窓は大窓である。またこの時点で既に運転席側の窓上通風口は無くなっている。その他は1988年頃とあまり差異はないが、KE66ジャンパ栓納めは原形の位置のみ付いている。またタイフォンシャッターの当たりゴムの位置が1988年頃と異なる。
↑1979年頃敦賀機関区の扇形庫にいた姿。この時点で既に貫通扉の窓が大窓であったことが分かる。また正面窓上の通風口は原形のままである。その他は1986年頃と大差ない。