キハ58 1000
1966年9月26日日本車両製の第7-2次車で、昭和41年度本予算で美濃太田機関区へ配置された。同一ロットの798・799・1000・1002全車が美濃太田へ配置された。当ロットは番号が飛んでいるが、同時期には番号とロット・製造時期がまちまちなケースが多々あった。また数ある国鉄車両の中でもジャスト1000番という車両は大変珍しかった。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍したが非冷房のままであった。「50-3改正」前後では長野から美濃太田へ冷房キハ57が転入し非冷房の当車は捻出され、兄弟の1002と共に1975年2月28日付で七尾へ転出した。七尾では急行「能登路」を中心に使用されたが、「53-10改正」で急行「ちくま」「越後」「ゆのくに」が廃止された際に金沢や長野から大量の冷房車が七尾へ転入し、当車は急行増車のため1978年10月3日付で敦賀へ転出した。敦賀には非冷房のキハ58系が集まっていたが、「55-10改正」以降敦賀でも急行の冷房化が進み、当車は冷房化されることなく他区へ転用されることになり、1980年10月25日付で七尾へ転出し、七尾線・能登線の普通列車で使用されるようになった。しかし束の間、「57-11改正」では急行「白馬」の廃止により松本から冷房車が七尾へ転入し、非冷房の当車は玉突きで11月17日付で富山へ転出し、キハ55に代わり大糸線の普通列車で使用されるようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は「大糸色」へ変更され大糸線北部で専属で使用されたが、1990年以降JR東日本区間へ乗り入れる運用が減少し、1993年3月にはキハ52単行列車へ置き換えられ、1993年3月31日付で廃車となった。
前面は、後期車であり前面補強されていない。正面窓上の通風口は残存しているが、水切りは撤去されており金沢地区の特徴である。デフロスタは、運転席側のみについている。ワイパーは強化型のWP50へ改造されており、運転室窓下の手すりは撤去され、金沢局標準の形態である。テールライトは新製時より外ばめ式である。タイフォンカバーはシャッター式である。放送用ジャンパ受栓は、新製時からステップ一体式である。なお当ロットから標識灯掛けフックが台座の無いタイプへ変更されている。当車は非冷房車ながら、制御用ジャンパ受栓が左右離れた位置へ移設されている変形車である。
側面はほぼ原形であるが、側面中央部客室窓下にサボ挿しが追設されている。
屋根上では、水タンクが新潟及び初期の金沢標準の扁平のものに交換されている。
床下はほぼ原形のままであるが、単線用スノープロウが取り付けられている。
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