キハ58 1021




JR東日本、新潟支社のカーペット車。

1967年4月13日新潟鉄工製の7-2次車で、昭和41年度第1次債務で釧路機関区へ配置された。同一ロット1019〜1021全車が釧路配置である。釧路では北海道夏季輸送用に使用され、夏季輸送終了後の1967年9月23日付けで同ロットの1019〜1021揃って新潟運転所へ転出した。新潟では、急行「赤倉」をはじめ、急行「羽越」「いいで」「うおの」等で使用された。1969年4月に冷房電源付きキロ28 2500番台が新潟に配置され、これから給電される形で急行「赤倉」の指定席車を冷房化することになり、当車は当時新潟に配置されていた他の同次車と共に1969年度中に冷房化された。以後長らく急行「赤倉」の専属車として活躍したが、「57-11改正」で急行「赤倉」が電車化されることになり、以降は急行「あがの」「べにばな」等の支線急行で冷房車として使用された。しかし、「60-3改正」で支線急行は軒並み格上げもしくは廃止・縮小され、この際に余剰車が大量に発生するが、当車はその際カーペット車化されることになり、1985年5月31日付で改造された。当カーペット車の種車は整理対象の初期車が多かったが、車齢の若い当車もなぜか改造された。改造当初は塗装もそのままで他車との区別はなかったが、1986年度に、クリーム色ベースに緑ストライプの新塗装へ変更され、そのままJR東日本に継承された。1991年3月には機関換装され、カミンズ製DMF14HZに更新された。1991年11月1日には組織改正で新津運輸所へ移管した。1995年には現行のグレーベースの新塗装へ変更されたが、老朽化のため2002年6月12日付で廃車となった。

前面は、JR化後に郡山工場で前面補強が施工され、台座付きの手すりやアンチクライマーが特徴であった。これは同時期に改造された同ロットの兄弟車1019・1020と共通である。正面窓上の通風口は、助手席側のみ撤去され、JR東日本の標準形態である。水切りは撤去されていない。デフロスタは、新潟地区標準で両側に付いている。ワイパーは、新潟時代にWP50に改造されている。テールライトは新製時から外ばめ式である。フックは新製時から台座無しである。タイフォンカバーは、後期の新潟タイプで下半分がメッシュ状の筒をかぶせたものとなっている。放送用ジャンパ受栓は、新製時からステップ一体式である。制御用ジャンパ受栓と、冷房電源用ジャンパ受栓の位置は、初期冷房車の位置のままであり、冷房電源用ジャンパ受栓の位置が、通常の車両より下に付いている。
側面では、運転室窓バランサー点検蓋は新製時からの形状。車体中央付近にあった機関冷却水口は埋められておらず、JR東日本の機関換装車では特異な形態であった。新潟地区では側面窓下にサボ差しを装備していたが、当車は団体輸送専用であったからか、付いていない。乗降ドア隅の丸窓は、ガラスが撤去され鉄板で埋められた、JR東日本でよく見られた形状である。便所窓は当ロットから横長の長方形になっている。
屋根上は通風器は原形であるが、水タンクは新潟地区特有の平べったいものに交換されている。前位側デッキ上の通風器は撤去されているが、後位側は残っている。雨どいが、新潟地区特有の、鉄板で滑らかに処理されたタイプとなっている。
床下では、エンジンがカミンズ製DMF14HZへ交換済み、その際に機関予熱器は撤去されている。スノープロウは単線用を取り付けている。油タンクは原形のままである。


1982年頃

↑国鉄時代、まだ急行「赤倉」の走っていた57-11改正前の姿。雨といは原形のままで赤色に塗られている。


1988年頃

↑1988年頃の時点で既に雨といが張り上げタイプに変更されているようである。カーペットカーとして登場した時点でどのような姿であったのかは不明である。



1992年頃

↑1991年に機関更新され、カミンズ製機関へ換装されている。その際に側面給水口が残存しているのは新潟で換装されていた車に良くみられた形態である。タイフォンは竹槍状のものから、円筒形のカバーを付けたような形状に変更されている。またカーペット車では当車のみ後位側に循環式汚物処理装置が取り付けられた。他車と同じくこの頃には側面の「Carpet」のロゴが無くなっている。


1995年頃

↑塗装変更される直前頃の姿であるが、側面乗降ドア下部の丸窓が埋められている。



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