キハ58 1033 → キハ58 5002




1967年4月20日日本車両製の第7-2次車で、昭和41年度第1次債務で釧路機関区へ配置された。同ロット1031〜1003全車が釧路で暫定使用され、その後1031・1032が和歌山へ、1033・1034が美濃太田へ正式配置された。当車は釧路で北海道夏季輸送に使用された後に1967年9月19日付で美濃太田へ正式配置された。美濃太田では急行「のりくら」を中心に高山本線で活躍した。1970年中盤には冷房化されている。国鉄末期には急行「のりくら」は徐々に格上げ・廃止され、「61-11改正」では急行運用は名古屋へ集約されることから1986年10月31日付で名古屋へ転出し、そのままJR東海へ継承された。JR化後も引き続き主に急行「のりくら」で使用され、キハ85系投入による特急格上げ後は1990年に塗装変更の上快速「みえ」で使用されるようになった。1991年の快速「みえ」増発・高速化の際に種車に抜擢され、1991年1月31日付でアコモ改造・駆動系改造・塗装変更されキハ58 5002へと改造された。この改造は全キハ58系の中でも最も駆動系を弄った改造であった。快速「みえ」の高速化対応車として華々しくデビューしたが早くも1993年にはキハ75系が投入されキハ58系は増発・増結運用や波動用などの裏方に回ってしまう。そして1999年のキハ75の追加増備によるキハ58系全廃計画により「みえ」は完全キハ75系化され、1999年10月12日付で廃車となった。

外観は、名古屋時代の形態を色濃く残している。
前面は、後期車であり前面補強されていない。ワイパーはWP50へ更新されそれに伴い運転室窓下の手すりが極小のものとなっているのは、名古屋地区の特徴である。但しこの車はワイーパーがWP50に更新されたものの拭き腕が古い1本腕のままとなっており大変珍しい。タイフォンは当ロットオリジナルのシャッター式のままである。テールライトは、当ロットは新製時より外ばめ式である。制御用ジャンパ受栓の位置は、名古屋地区標準の位置である。放送ジャンパは、名古屋地区標準でステップの下に設置されている。なお当ロットから標識灯掛けフックが台座の無いタイプへ変更されている。
側面では、床下機器改造に伴い、機関冷却水の給水口が埋められていることと、油タンクの位置変更に伴い給油口の位置が変更されていること、後位側に点検口のようなものが設置されていること、洗面所更新により通風窓が無くなっているのが特徴である。当次車から便所窓が横長の長方形になっている。
屋根上は、標準的な冷房車の形態である。前位側のデッキ通風器は撤去されており、後位側については資料が無く不明である。
床下機器は数あるキハ58系で最も手を加えられている。機関はキハ85系と同じC-DMF14HZへと換装され、エアクリーナーを含む関連機器が取り替えられた。機器配置はキハ85系に準じたものに変更され、接触器箱や充電池箱、油タンク等の配置が変更されたが、部品自体は極力元の発生品を使用している。油タンクの位置変更に伴い、台枠付近にあった給油口の位置も変更されている。台車はキハ80系発生品の空気バネのDT31系へ交換されており、さながらキハ57のようである。数あるキハ58系機関換装車では唯一変速機も交換され、最高速度も110km/hとなっていたが、制御回路はそのままで一般車と混結することも可能である。また改造時に床下機器が台車を含め全て灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。


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