キハ58 1101 → キハ58 5101



1968年5月31日新潟鉄工製の8-3次車で、昭和42年度第3次債務で新潟へ配置された。新潟へは新製後の仮配置であり、7月には房総海水浴輸送用に館山へ転属し、夏季輸送後の8月26日に和歌山へ正式配置された。同一ロット1101〜1104全車が同じ経歴を辿り和歌山へ配置された。和歌山では紀勢本線の急行「きのくに」で長く活躍した。1969年頃には冷房化されている。「60-3改正」では特急「くろしお」増発で急行「きのくに」は全廃となり、当車は兄弟の1101〜1104共に1985年3月13日付で亀山へ転出し、関西本線・片町線・信楽線で使用されるようになった。国鉄最後の「61-11改正」時に、当車は紀勢本線用としてJR東海に継承されることから1986年11月1日付で伊勢へ転出し、そのままJR東海へ継承された。伊勢では紀勢本線の普通列車で使用されたが、1991年の快速「みえ」増発・高速化の際に種車に抜擢され、名古屋へ転属の後に1991年3月12日付でアコモ改造・駆動系改造・塗装変更されキハ58 5101へと改造された。この改造は全キハ58系の中でも最も駆動系を弄った改造であった。快速「みえ」の高速化対応車として華々しくデビューしたが早くも1993年にはキハ75系が投入されキハ58系は増発・増結運用や波動用などの裏方に回ってしまう。しかし「みえ」用唯一のモデルチェンジキハ58として重宝され、1997年6月11日にはJR東海のキハ58系では珍しく汚物処理装置の取付が行われる。しかし1999年のキハ75の追加増備によるキハ58系全廃計画により「みえ」は完全キハ75系化され、引き続き当車は波動用として活躍したが、2001年9月14日付で廃車となった。

当車は関西地区の特徴が色濃く残っていた。
前面は、ワイパーは原形のWP35のままで、手すり類も原形のままである。制御用KE53ジャンパ受栓は、左右離れた位置に設置され、ステップは原形の位置のままである。放送ジャンパ受栓は、関西地区特有の位置に移設されている。タイフォンカバーは、原形のスリット式のままである。なお当車は伊勢時代に種別表示幕の横に携帯式列車無線アンテナ挿しが設置されており、JR化初期の伊勢・亀山・中込配置経歴車の特徴である。
側面では、床下機器改造に伴い、機関冷却水の給水口が埋められていることと、油タンクの位置変更に伴い給油口の位置が変更されていること、後位側に点検口のようなものが設置されていること、洗面所更新により通風窓が無くなっているのが特徴である。汚物処理タンクが設置されているので、便所部側面に点検蓋のようなものが設けられている。
屋根上は、冷房化後手を加えられておらず標準的な冷房車の形態である。
床下機器は数あるキハ58系で最も手を加えられている。機関はキハ85系と同じC-DMF14HZへと換装され、エアクリーナーを含む関連機器が取り替えられた。機器配置はキハ85系に準じたものに変更され、接触器箱や充電池箱、油タンク等の配置が変更されたが、部品自体は極力元の発生品を使用している。油タンクの位置変更に伴い、台枠付近にあった給油口の位置も変更されている。台車はキハ80系発生品の空気バネのDT31系へ交換されており、さながらキハ57のようである。数あるキハ58系機関換装車では唯一変速機も交換され、最高速度も110km/hとなっていたが、制御回路はそのままで一般車と混結することも可能である。また改造時に床下機器が台車を含め全て灰色で塗装されているのは晩年の東海地区の特徴である。またこの車は後位側に名古屋地区では珍しく循環式汚物処理装置が取付けられている。


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