キハ58 1124



1968年7月2日富士重工製の8-3次車。昭和42年第3次債務で勝浦に仮配置され、房総地区の夏季海水浴臨に使用された後に、1968年9月1日付で本来の米子機関区へ配置された。同一ロット1123〜1125全てが同じ動きを辿り米子へ配置された。米子では急行「だいせん」「伯耆」「さんべ」で使用された。同ロットを含む他の米子の仲間が早期に冷房化される中、当車は非冷房のまま使用された。1970年代末期に山陰地区では若干非冷房車が残っており、1978〜1979年に駆け込みで一部車両は冷房改造されたが、当車は不運にも非冷房のままとなり、1980年以降冷房化されなかった。1980年代は他地区から冷房車を転配する方法が取られ、当車は他区から転入した冷房車と入れ替わり、1980年10月15日付で美濃太田へ転出し、キハ55の置き換えに使用された。しかし美濃太田でも普通列車の冷房化を進めており、急行削減で冷房車を転用できるようになった「59-2改正」で、更に転用されることとなり、1984年2月5日付で富山へ転出、大糸線の普通列車でキハ55に代わり使用されるようになった。そしてそのままJR西日本へ継承された。JR化後は「大糸色」へ変更され大糸線北部で専属で使用されたが、1990年以降JR東日本区間へ乗り入れる運用が減少し、1993年3月にはキハ52単行列車へ置き換えられ、1993年12月10日付で廃車となった。

前面は、前面補強は施工されておらず、WP35ワイパーや正面窓下の手すりも原形のままである。当車は1100番台では珍しくデフロスタが取り付けられている。また当車は左右両側のタイフォンに金沢地区によく見られるカバーを取り付けているが、通常の傘状ではなくお椀状となっており非常に個性の強い顔立ちである。
側面は、ほぼ原形である。
屋根上は、モデルチェンジ車冷房準備車の標準であり、デッキ上部の通風器も残存している。
床下も、ほぼ原形である。


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